Ik heb geen naam. Ik heet geennaam.

行くところまで行った、終局的な技術が人間にもたらすものとは何か。今井敦さんの論文が面白かったのでそれをかいつまむ。

F.G.ユンガーによれば、技術は新たなものを創造するものではなく、自然や人間の中に資源を掘り起こし、それを加工するようなものである。つまり技術は新たな「もの」を生み出すわけではなく、新たな「利用可能性」を見出すということである。技術は利用可能なものがないかこの世の隅々にまで目を光らせている。そしてあらゆる利用可能性がはぎとられた結果として貧困が現れるという。

その一方で技術は我々人間に対し、労働形態の変化という形で介入してくる。我々の労働は技術によって簡素化され、技術は我々の労働の一部を請け負うようになる。労働の簡素化は労働の法則性を機械が掌握していく端緒である。人間は徐々に主体性を失ってゆく。また、技術が労働を肩代わりしたところで労働時間の短縮という結果にはならない。というのも機械の発達は同時に収奪を加速させ、我々は多くのものを生産することを強いられるようになるからである。

成熟した技術が普及した「技術時代」にはかつての不動なものが流動化をプロセスを経て計算可能な価値へと還元される。我々は個人としての相貌を失い、すべてが量的差異へと還元するという。

ここからは拙々々論を披露する。さて、みなさん、方言は技術時代においてどのような役割を果たしうるのだろうか。

一つは質的差異を生み出すことができるという点。

もう一つは不動(「不変」ではない)のものを生み出しうるという点。

があると思いまーす。

あほ